倉敷と薄荷の歴史

正倉院文書には「目草」(薄荷の別名)として薄荷についての記録が残っています。また1191年に岡山出身の明菴栄西が中国からお茶と共に薄荷を持ち帰りはっかの栽培を始めたという説も唱えられています。
戦後、国の薄荷栽培奨励に薄荷栽培が再開され、岡山県倉敷市には全国で2ヶ所しかない農林省指定薄荷試験栽培地が設置されました(のちに『岡山県農業試験場倉敷はっか分場』となる)。

薄荷栽培の最盛期(戦前)には岡山が全国第2位の出荷量を誇り、取卸油が海外へ輸出されるなど、国内有数のはっかの名産地でした。
戦後、倉敷はっか分場で生まれた品種の1つが倉敷薄荷の原料となる『秀美(しゅうび)』です。ペパーミント(ミッチャム種)と和種はっかの三美(さんび)を交配して生み出され、他品種と比べて清涼感が高く、甘くて穏やかな香りが特徴なことから今後の産業発展に期待された品種でした。

1967年から秀美の試験栽培が始まったものの、高度成長期の工業化の波と社会構造の変化により、翌年には日本の薄荷産業の終焉とともに表舞台に立つことなく消えていきました。
岡山県において、中山間を中心に急速な過疎化や高齢化が進む中、住民の一部は休日や老後の生活の一部として、農業体験を指向しました。一方で、倉敷など中核都市においても農業従事者の高齢化や過疎化が進み周辺部から都市農地の荒廃が進行しています。

弊社の前身となる市民活動団体は、農家・不動産・まちづくり等に携わる者たちによって立ち上げられたプロジェクトチームから始まりました。地域資源開発/循環型/低炭素をキーワードに活動を進め、現在は倉敷を含む岡山全域で盛んに栽培されたはっかを使用した商品開発と情報発信に努めています。

地域資源の活用を目的とした活動の中で、試験栽培が中止されていた秀美の苗をいただく機会に恵まれ、契約農家さんと栽培方法の研究や自社での商品実験を行なってまいりました。薄荷生産量の安定と自社の蒸留器設備が整ったことから、「倉敷薄荷」の商標を取得し、販売に至りました。
岡山倉敷における薄荷産業の知名度を高めることで地域産業の振興や文化の向上に繋がればという想いで日々取り組んでおります。

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倉敷薄荷陳列所
〒710-0046
岡山県倉敷市中央2丁目10 - 11
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